調布稲門人

早大校友数は 63 万人、うち調布市内に居住するのは現役学生を含めて 2 千人超。これは調布市の人口(23.4 万人)のほぼ 1%に当たります。結構大きな比率です。日本全国・世界の隅々で活躍する“稲門人”ですが、『紺碧』では今号から 調布市在住の「調布稲門人」の中から、社会貢献で大いに活躍する人、異色な人、異能の持ち主、すごく面白い人等、「ちょっと気になる人
を取り上げます。(インタビュー・構成 編集部・高原浩
 ) 


第4回 ある時はプロのミュージシャン ある時は凄腕の IT 技術者

ある時はウッシー 

潮田健太郎(うしおだけんたろう)さん  昭 52 理工院

 キーボードの調べと独特のハスキーボイス。調布稲門会の新年会、総会など折々の集まりの会場で一度はお聞きになったのでは?ウッシーこと潮田健太郎さんの演奏を。

 自称“柴崎城の王子様”、しかし傍目には“柴崎の怪人二十面相”と映る。普段は個性派俳優の木下ほうか似(?、写真上)の中年の普通の小父さん。しかしいったんステージに上がれば聴衆を魅了するプロミュージシャンに変身、そして本業(?)の IT 技術者にもなって辣腕を発揮する、等々。この人の正体はなかなかつかめない。ちなみに暫く開店休業状態だった調布稲門会のホームページを独力で修復・復活させ、最近ではコロナ禍対策で始めた稲門会のリモート会議の主宰者もウッシーさんだ。

  ただ何といっても潮田さんの肝は音楽にある。東京・世田谷区出身、都立青山高から早大理工学部電気通信学科へ。情報工学専攻で修士課程修了。幼いころから音楽好きな母親の影響もあり、家にあるピアノを自己流に弾いていたが、高校ではラグビー部員、音楽にはしばらく無縁の状態が続く。大学生になって改めてピアノに目覚め、音大の先生についてクラシックを基礎から練習し直した。

  大学在学中は当初、家庭教師と広告代理店のバイトに忙殺されたが、3年になってシャンソン研究会から勧誘され、女性も多く居心地がよさそうなためすぐ入会。ここにはモダンジャズ研究会の先輩も遊びに来ていてその伝手で音楽事務所を紹介されまずは郡山のナイトクラブのピアニストとして“デビュー”。その後、都内のナイトクラブを転々としたが、学部授業、大学院受験、修士論文、学会発表をこなした。「周りは会社なんかに絶対就職しないと私を見ていたようですが、一旦はきっぱり足を洗いました」。メーカー5 社を渡り歩き、メカトロニクスのハード開発技術者などを歴任して定年を迎える。いまもパートで特許事務所の技術コンサルタントをしている。

ただ好きな音楽は切り離せない。歌謡曲をジャズ風にアレンジした「無国籍懐メロ」のスタイルを編み出した。

 「今若いミュージシャンが昭和歌謡に注目しているが、私はその走り」だとか。コロナ禍の前までは年に 2、3 回のライブ、月に 1、2 度のセッションをこなしてきた(写真下)。名門ライブハウスで有名ジャズマンとの共演もさせてもらった。

「音楽という人生の無駄にのめり込むのが格好いい、そんな考え方をするのがミュージシャン。皆さんも音楽は音楽であって音楽でしかない、音楽にメッセージなんか求めないで、ただの音の遊びとして、アホになって楽しみましょう」。ウッシーらしい結びの一言になんとなく納得してしまうのだった。

 

調布稲門ジャズ祭り

2018 04 07  調布GINZ


第3回若葉の森3・1会」代表

野村大也(のむらひろや)さん 昭45理工

仙川地区の崖線緑地保全活動、リーダーとして頑張る

野川沿い北側に三鷹から調布、世田谷へと連なる緑の段丘がある。大昔に多摩川が削った国分寺崖線、地元で「はけ」といわれるものだ。調布市民になじみの深い深大寺もその一角にあるが、野村さんは調布に住んで20年、住まいのある仙川・若葉町で、「若葉の森3・1会」代表としてこの崖線緑地の保全活動に長年、精力的に取り組んでいる。(写真下は作業風景)

 10年ほど前、調布市の「雑木林塾」を受講したのがこの活動に入ったきっかけ。受講後、環境保全活動の先輩に勧誘され、野村さんら3人で会を発足。自宅のすぐ下、高低差約20mの崖線斜面を含む2カ所の緑地が活動の舞台。若葉小や調布四中が隣接し児童の通学路沿いだから手入れを怠れない。この活動で草茫々の荒れ放題だった空き地がみちがえるように変わった。今では仲間も10人に増えた。毎月第1日曜日の午前中、2時間半ほどかけて下草手入れ、枝・小樹木伐採、笹など不要植生の除去、柵・土留めなど造作の土木工事などに心地よく汗を流す。

「隣にある武者小路実篤邸のように、ある程度手入れの行き届いた状態に戻す」のが目標。日差しが届くようになって「キンラン」「ギンラン」といった都の絶滅危惧種が復活、再生したと喜ぶ。活動は「自分のためでもあるが、昆虫の寝床つくりなど子供たちのためにやっている面もある」。近所の幼稚園・保育園の児たちが園庭替りにここによく訪れて遊んで帰るとか。目を輝かしてはしゃぎまわる園児たちの姿が目に浮かぶ。

 色白、小柄で紳士然とした話しぶりの傍ら、古武士の様な一徹さも感じる。野村さんのモットーは「非核、反戦、多様性」。広島県三次生まれ、県立福山誠之館高校から早稲田へ。母方の叔父は広島市で被爆した。加えて大手電機メーカーに就職後、長崎駐在が延べ19年間。広島・長崎というキーワードは野村さんの人となりを如実に物語っているようだ。会は2011年に「崖線緑地の保全活動」で調布市と協働契約を結んだ5団体の一つとして、市に正式に「認知」された。「好きでやっているだけではない」ことが明確にされ、それが会の大きな励みにもなっている。

(2020年1月時点)



2回 高齢者施設でオカリナ演奏福祉ボランティアに情熱傾ける

松野宏さん   昭43教育

「ボランティアはまだ1年だが、みんな楽しみにして待っていてくれているのでずっと続けていきたい」。去年の春、世田谷の高齢者介護施設に入居している自分の母親に聴かせたオカリナ演奏だが、施設内で評判となり、ボランティアの定期演奏会が実現した。数カ月後には地元上石原の高齢者の集まりの場にも広がった。世田谷は月1回、参加者は約20人、100%車椅子(写真上)。上石原は「ふれあいの家」で月3回、参加者は80代前後が約30人、家から通ってくる。まさにたった独りで手掛ける“魂の演奏会”。

上石原では軽い上下肢の筋肉トレーニング等の体操が中心。オカリナの出番はそのあと。レパートリーは80曲以上。そこから毎回参加者になじみのある文部省唱歌やポピュラー曲から2曲を選び、それを「誤嚥防止にいいから」といって大声で歌ってもらっている。どの曲にも必ず事前に調べた来歴を述べる。そのあと讃美歌やクラシックから1曲選び、ソロ演奏を聴いてもらっている。毎回、選曲、歌詞のプリント

づくり、演奏を一人でこなすが、ボランティアをさせて頂いている、聴いて頂いている、という気持ちがあるから、全然苦にならない。

オカリナはイタリア生まれの陶器製でとても柔らかいホッとする音だ。68歳で先生についた。小学生と一緒だった。高校時代、吹奏楽でクラリネットを吹いていた。楽譜も読める。が、きれいな音を出すのは簡単ではない。6年経つ今も練習、練習だ。

旧満洲・奉天生まれ、名古屋育ち。地元の高校から早大教育学部(英語英文科)入学。房子夫人は同学科の同級生。卒業後、生保会社に就職、定年まで勤め上げた。ただ「英語をちゃんとやらないと死んでも死にきれない」の思いが心のどこかにいつもあった。48歳の時、一大決心。横田基地で数年個人レッスンに通い、縁あって在日米国商工会議所の個人会員になれた。そこでメンバーシップ関係委員会の委員として14年在籍した。“英語”が松野氏の本来のキーワード、ライフワークだが、今年、後期高齢者に仲間入りするのを前に、今度は“オカリナ”による新たなライフワークが本格始動する。

(記事内容は 2019年 6月時点)


調布市オンブズマン -市政のお目付け役に弁護士の知見活かす-
舟久保賢一さん     昭 55 法  

3 人いる「調布市オンブズマン」の一人で現役弁護士。調布市在住は舟久保さんだけだ。 2017 4 月、調布市長の委嘱を受け就任した。任期は 3 年、 3 人が交代で毎週水曜日の午後、市庁舎 2 階の「オンブズマン相談室」に詰める。市民が市政に関しオンブズマンへの相談を希望する場合には、オンブズマン事務局を通じてオンブズマンへの相談につながる。その際には、事前相談カードに必要事項を記入して提出してもらう。ありとあらゆるものが相談事項となり得、今さらながら市の業務は社会生活そのものだと痛感しているという。まずは相談者の話を丁寧に聴くことを心がけ、担当部署から事情を聴き、問題の解決を探るが、これまでの法律家としての経験が役立っているという。舟久保さんはオンブズマンの職務を通じ「わが街調布のために少しでもお役に立てば」と語る。
見かけはおっとりしているが、真面目で的確・精緻な仕事ぶりは万人の認めるところ。本来業務(弁護士業)でも会社、団体、個人など多くの顧問先を抱え信頼は絶大。しかし経歴は少々異色だ。卒業間際の 4 学年時に、親友の司法試験挑戦に刺激され、一念発起して一緒に受験。 2 年留年のうえ、何度かの挑戦で晴れて合格したが、 30 歳になっていた。そして弁護士登録、専門は民事。丸ビル内の法律事務所で 11 年の修行、その後、淡路町で独立、 2011 年からは現在地の千代田神田錦町に事務所を構えた。奥さんが事務を担当、夫唱婦随の 2 人で事務所を切り盛りしている。山梨県富士吉田市出身、中学、高校(県立吉田高)でサッカー部所属、今は府中のフットサルチームで汗を流す。最近は調布稲門会の仲間と、調布市西部公民館で月 1 回の「クッキングパパ」の料理教室を楽しむ。もう 3 年になり家庭料理の腕前もかなりのものだとか。

(記事内容は2019年1月時点)

 

 

似顔絵入り オンブズマン紹介記事(調布市報 2018・ 7/5 号)  



民生委員13年、青少年健全育成活動約30年 

-地域の世話役、フル回転-

関口憲三さん(72) 昭44商

「36歳から始めた子供会の世話役」、「青少年健全育成活動のプロ」、「ソフトボールのコーチ」「民生(児童)委員」いろんな顔を持つ調布市小島町の名物男である。地域社会への貢献活動一筋に35年以上、まさに「一隅を照らす、これ則ち国の宝なり」を地でいく、地道だが精力的な活動ぶりだ。小島町3丁目の一部約750世帯を担当する民生委員として12月に15年目を迎えた。子供、高齢者、障がい者のお世話をするが、全国的に幼児の虐待問題が深刻化しているものの、調布では高齢者案件が中心という。「世話好きでないと務まらない。私は人の世話をし過ぎるくらいの性格、こんな性格をくれた親に感謝しています」。お世話した地域の高齢者からはずいぶん有難がられ、やり甲斐を感じるという。

小島町で親の代からの撚糸(ねんし)業の一家に生まれた。実兄は元調布市議会議長。富士見台小、調布中、都立三鷹高を経て早稲田へ。生粋の調布っ子である。母校の富士見台小地区を活動拠点に小学生、大人ソフトボールチームのコーチを合計20年務め、児童や周囲からは「コーチ、コーチ」と親しまれている。最近では調布ソフトボール連盟の大会審判も長く務めて、地元ソフトボール界では知る人ぞ知る存在だ。

飄々とした風貌と飾らない性格は誰からも親しまれ、信頼されている。新卒就職して長らく務めた宝石卸商を51歳の時に離職、その後ソフトボール仲間の伝手で化粧品製造卸に再就職するなど辛酸をなめた苦労人でもあり、そうした苦労や社会経験が活動に生かされて周囲の信頼を得ているようでもある。人生の深い年輪を醸し出す人物だ。

(記事内容は2019年1月時点)

 

 

卒後50年、ホームカミングデーに訪れた母校キャンパスで